ねむの木の花があちこちに咲いていますね。
今日も暑かった-のですが皆さん大変お元気で、生き生きとした字を書かれました。
短冊に清書していただいたのをボランティアさんたちが額に入れて廊下に展示してくださいます。
象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉『奥の細道』
Ø この句は、芭蕉が元禄二年六月十七日に秋田県の象潟〔きさかた〕で創ったもの。
ちなみに今年は7月19日が旧暦の6月17日です。
象潟〔きさかた〕は、1804年(文化元年)の大地震で水が涸れてしまって
島だけが残ってあとは田圃になってしまったそうです。
むかしは松島と並ぶ東北地方の名勝でした。
ちなみに今年は7月19日が旧暦の6月17日です。
象潟〔きさかた〕は、1804年(文化元年)の大地震で水が涸れてしまって
島だけが残ってあとは田圃になってしまったそうです。
むかしは松島と並ぶ東北地方の名勝でした。
Ø 西施〔セイシ〕は、中国の春秋時代の越の国の美女で西子ともいう。
越の國の王・勾践〔コウセン〕が会稽の戦いに敗れたとき、呉王・夫差〔フサ〕に越の國一番の美女である西施を献じたのです。
越の國の王・勾践〔コウセン〕が会稽の戦いに敗れたとき、呉王・夫差〔フサ〕に越の國一番の美女である西施を献じたのです。
Ø 夫差は よろこんで西施を寵愛して政治を顧みなかったために、勾践はこれを攻撃して滅ぼし、会稽の恥をすすぐことができた。
政略のために敵地へ送られた憂悶の美女です。
政略のために敵地へ送られた憂悶の美女です。
Ø 西施が心を病んで面を顰めたさまが美しかったので、争って国中の女性がこれに従い、「西施が顰」の故事が生まれたそうです。
Ø 「西施の眠り」というのは、薄倖の美女が憂い顔に皺を寄せて、眼をなかば閉じたさまを表わす言葉です。
Ø 芭蕉は、「西施の眠り」のイメージを合歓の花や象潟の雨にけむる景色に感じ取ったのでしょう。まず朦朧とけぶる象潟の全景があり、その中から「暗中模索」して雨中に眠る「合歓の花」を點出し、さらに胸裏に「西施」の憂悶の姿を描き出す。
芭蕉の視覚的想像力に、古典意識が加わって、幽玄にした艶なる句である。
芭蕉の視覚的想像力に、古典意識が加わって、幽玄にした艶なる句である。
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